脳梗塞体験手記

脳梗塞後遺症 本人が綴った奇跡の回復物語

この体験談は、脳梗塞を患い、その後遺症と必死に戦って見事に回復した高重嘉治さんが自ら書かれた「13枚の手記」を中心に構成してあります。
ご本人だからこそ語れる真実の話、どうぞ最後までお読みください。

脳梗塞 発症

脳梗塞体験者体の異変に気づいたのは、平成15年11月10日の朝。健康維持のために48歳から続けている早朝ジョギングに出かけるため、布団から起き上がろうとしたときでした。腕や足に力が入らず、身体の自由が利かないのです。何とか壁づたいでトイレに行ったとき、「これは脳梗塞だ」と気づきました。脳梗塞は処置が早いほど後遺症が軽くすむ、と記憶していたので、すぐに妻(高重千鶴子さん)に救急車を呼んでもらい、市内の病院へ搬送してもらいました。50日ほどで69歳を迎える晩秋の発症でした。

 実は、前兆があったのです。散歩中に家の近くで突然、頭から血の気が引く感覚と同時に、手足の脱力感に襲われたのは前日のこと。何とか家に入り、いすに腰掛けて安静にしていると15分ほどで平常に戻ったので、単なる足りくらみだろうと考えていました。

 それから、2ヶ月前の9月中旬にもよく考えればそれらしき兆候がありました。糖尿病による合併症でしょうか、目が充血したので眼科医に診てもらったら、血糖値が高いから専門医の検査を受けるようにと勧められていたのです。そのときも、特に問題ないだろうと、無視してしまいました。

 後悔先に立たずと言いますが、自分の判断の甘さを今になって悔やみます。

 病院についてCTを撮り、頭の頭頂葉の右側に血栓があることがわかって、即入院。すぐに点滴治療を受けましたが、次第に意識が薄らいで、気がついたのはその日の夕刻でした。

脳梗塞との闘病

 目覚めたとき、左半身はすでに麻痺していて、まったく体を動かせなくなっていました。

 ジョギングで体を鍛えてきたし、胆石の手術をしたくらいで病気らしい病気はしたことがなかったのに、それがいきなり脳梗塞で左半身マヒ。健康に自信があっただけにショックでした。

 1日に7〜8時間かけて行われる血栓溶解剤と水分補給の点滴治療が行われました。

 その効果があってか、少しずつ体が動かせるようになりましたが、依然として左半身はマヒが続いていて、まったく動く様子はありません。

 それから、車椅子に乗れるようになったのは1ヵ月後。杖を使って歩行訓練をした結果、少しずつ歩けるようになって、50日間に及ぶ治療を経て退院したのは12月末でした。

 正月明けには妻を伴い、脳外科の専門病院で改めて検査を受けました。MRIの結果、血栓は直径1センチほどで運動神経を発信する部位にあるとの指摘を受けたのです。

 私は専門医に尋ねました。

「左手が大きく膨れ上がって、肘がくの字に固まって動きませんが、どうしたらよいのでしょうか?」

 専門医の答えは冷ややかなものでした。

「あなたの場合は典型的な脳梗塞で、右にある血栓は死ぬまで取れないでしょう。秋ごろには腫れ上がった右手もやせ衰えて熊手のようになるから、今のうちに奥さんと温泉旅行でも楽しんでおくことですね」

 妻の前で言われた「治らない」という話は、私にとって言いようのない大きな衝撃でした。

「がんばればきっと治るから」

 妻の言葉に励まされて、そのときの精神的な落ち込みはどうにか乗り切ることができました。

 ジョギングで培った忍耐と我慢、そして持ち前の旺盛な好奇心に支えられ、いよいよ後遺症との戦いが始まりました。藁をもつかむ思いでいくつもの病院で診察や治療を受け、うわさを聞いては針灸、電気両方、漢方、健康食品にと何でもすがりました。

 目に見える効果があれば人間は頑張れます。しかし、私の場合、感じ取ることができなかったのです。いくらか好転はしても、先の見えない重苦しい毎日に、奈落の底に突き落とされたような気持ちでした。

 マヒした左半身はシビレ、空気が冷える午前2時ごろには毎晩のように左腕の間接に激痛が走って、痛み止めの注射も1週間くらいしか効き目がありません。左足の関節も曲がらず棒のように硬直したままで、円を描いて歩行しなければなりませんでした。

 さらに、辛かったのは頭の中を蝉の泣き声に似た音や金属製のキーンという音が、絶えず鳴り響いていることでした。しかも、2ヶ月に1回くらい、まるでテレビの放送終了後の画面のように激しくザーとかゴーとかいう猛烈な音がして、眼前のものすべてが早いスピードで襲いかかってくる感じで身体中が熱っぽくなり、視力が失われて思わず目を閉じてうずくまってしまうのです。20分くらいで治まりますが、歩くことはできず頭が重苦しい状態が続きました。

 それはまさに”恐怖“の一言に尽きます。

 このような苦しみを医師に話しても私の説明不足で聞き入れてもらえず、また妻に打ち明ければ心配するだろうと思い、一人苦しみ悩みました。

 テレビから「神田川」や「シクラメンのかほり」などの曲が流れると、病気になる前に友人と酒を飲みカラオケで歌った元気なころを思い出し、涙があふれ、思わず泣いてしまうことがありました。病気のせいで感情の起伏が激しくなったのでしょうか。

 また、食欲がなくなり78キロだった体重は50キロ台に落ち込み、自分の人生もこれまでかと「死」の文字が頭をよぎったのも事実です。出口の見えない長く苦しいトンネルを歩いている感じでした。

〈順風の中では己を知らず、逆境に立って己を知る〉当時を振り返っての心境です。

脳梗塞を発症して1年6ヶ月の歳月が流れた去年の5月12日、トンネルの向こうにかすかな希望の光が見えました。

 重い足取りでリハビリを兼ねた散歩から帰宅すると、妻が、”この記事を読んで“と冊子を差し出したのです。

 東洋鍼灸療法院・松本院長先生の東洋医学を特集した記事を読んでいるうちに、何か今までと違ったものを感じ取り、すぐに先生に電話をかけて実情を相談しました。「佐賀県唐津の遠方ですが、一度来院してみてはどうでしょう」

 先生の言葉を聴くと居ても立ってもいられず、妻には”警察や病院から緊急連絡が入ったら、それまでと思え“と言い残し、翌朝6時の始発バスに乗りこみました。そして、新幹線、在来線と乗り継ぎ、松本先生の治療院がある和多田駅(唐津駅のひとつ手前の駅)についたのが午前11時。5時間の行程でした。

 和多田駅の50段近い階段を手すり伝いに降り、治療院まで150メートルの距離をやっとの思いでたどり着いたとき、私の顔は”青白く、元気がなかった“と後日先生に聞きました。

あの日を振り返って ※松本俊之院長 談

針治療を受けている現場。頭針。顔面針、それからマヒが残る左半身を重点的に治療します治療院を初来院した当時の高重さんの状況は・・・

「所見では、学問的に半身マヒに特徴的なウェルニッケマンの肢位と呼ばれる状態でした。肘は屈曲し、前腕は内側に丸まっており、手と手指はグッと握った形。下肢は左足が突っ張って伸びる”ぶん回し歩行“で、杖なしでは歩けない状態でした」

 私はは問診と触診でさらに具体的な症状確認を行いました。

「うつ伏せになるのが辛く、寝返りができない。起こすときや服の脱着には補助が必要なこともわかりました。また左手は拘縮(各関節が他動的にも自動的にも可動域制限を起こす)してグーの状態で固まり、動かしにくいこと。肘関節も拘縮して伸展が制限されていて荷物がもてない状態であること。左足は膝の屈伸時にストッパーがかかる感じで、大腿後面とふくらはぎには硬い筋のあることも確認しました」

 私はは高重さんの訴えにも耳を傾けました。

「主な訴えは左半身、特に左顔面と左上下肢のマヒとシビレ、それから食欲がないと訴えておりました。表情が硬く物静かでした。高重さんの内面の辛さが理解できましたし、早く笑顔が見られるように全力で治療にあたろうという思いでした」

 治療法を決定した私は、具体的にその内容を高重さんに説明しました。

「脳梗塞の後遺症を改善する目的の頭針、左顔面のシビレをとる目的の顔面針、それから当院のオリジナル治療を施術します。

脳梗塞後遺症から回復へ

松本先生の治療理論はわかりやすく、血管や神経のこと、それから身脳梗塞 後遺症:以前の歩き方と現在の歩き方。治療後はいかにスムーズになったかわかります体の構造についていろいろと話を聞き、先生の治療は必ず回復に向かうと確信しました。実際、施術そのものも大満足でした。

 針灸については、地元で幾度も針灸治療を受けていたので、ある程度知識があるつもりでしたが、松本先生の施術は予想通りまったく違うものでした。身をもって違いを体感できたからこそ、これは信頼できると感じました。

 始めても治療を終えて宿泊予定のホテルに着くと、ビックリする事に、急に食欲が出てきたのです。少し遅めの昼食、それから夕食、どちらもきれいに平らげてしまったのには自分自身驚きました。長いこと食欲がなかっただけに、どれほどうれしかったことか。

 松本先生への信頼は確信になり、毎月1回、定期的に松本先生の治療を受けるようになりました。

「ずいぶん表情が明るくなりましたね」

 最初に効果が現れたのは表情でした。「笑顔が増えたじゃない」と言われるようになったのが6月上旬。顔のシビレの範囲がせばまったせいからか、顔色がよくなり「酒でも飲んでいるんじゃない?」と、人から言われたくらいです。

 苦しい思いをした頭の轟音やめまいも徐々に治まってきて、8月以降は完全になくなりました。松本先生の施術による効果が、脳の安定を促したのでしょうか。

 物事に対する気力も湧いてきました。リハビリの必要性は同病の先輩や仲間に聞かされていたのですが、落ち込んでいたこともあって松本先生の治療を受けるまではおざなりに取り組んでいました。しかし、気力が戻った6月上旬からは、積極的に取り組むようになり、現在も1日に2〜3時間はリハビリに汗を流しています。

脳梗塞後遺症から回復 そして夢へ

固まって動かすことができなかった左腕・右肩もこれほどまでに上がることができるくらい回復針灸治療とリハビリと。この効果が、左半身マヒの後遺症に作用しはじめたのは夏の終わりの9月。それまで動かなかった左足の関節と左腕の関節が動きはじめたのです。痛みもやわらぎました。

 待ち望んでいた回復の兆しでした。リハビリにも一段と熱が入り、散歩の距離も伸ばしました。それがさらに好結果につながり、円を描くようにしか歩けなかった左足は、素直に足を前後に運べるようになったのです。あれほど苦労した和多田駅の50段の階段も、今では杖なしに昇り降りできるようになりました。

 外出する際は万一を考えて杖を使いますが、室内では杖なしで歩いています。去年の夏まで病院内では4つの足がついた杖を使っていたのに、最近では杖なしで歩く私を見て、当時を知っているリハビリ仲間や看護師さんたちは驚いています。

「歩く姿がよくなりましたね」

 そんな言葉をかけられる度に、内心喜びを隠しえないものがあります。

 左腕が少しずつ上がりだしたのは10月。いつのまにか左手も硬直がやわらいできて、今では軽い荷物なら持つこともできるし、腕も180度くらい上がります。

 閉塞がちであった気分も前向きになり、誰とでもよく話し合えるようになって、笑顔が絶えなくなりました。集中力も戻りました。

 さらに、毎月、血液検査をしているのですが、病気前はヘモグロビンA1Cが9台と高く、「10台になったらインスリンを打ちましょう」と医師から言われていたのに、今年に入ってから5.9(正常値4.3〜5・8)まで下がって、コレステロールや中性脂肪も正常範囲で推移しています。

 松本先生の針灸治療とそしてリハビリ効果。この効果によって脳梗塞の再発もなく、身体全体がよくなってきているというのが実感です。松本先生を知ったことが回復への転機になりました。

 1年前のあの暗く長いトンネル当時と比べれば、まるで奇跡のような回復を日々更新している気がします。

 冷ややかな人の目もありましたが、脳梗塞を患ったことで多くの人を知り、いろいろなことを学ぶことができました。人生観が変わりました。

「元気になられましたね」「顔色がいいですよ」「転ばないように気をつけてください」「風邪をひかないように」「以前とは足の運びが見違えるようにスムーズですよ」

 そんな言葉ひとつひとつが私にとっては涙の出る思いで、うれしさいっぱいです。本当にいろいろ激励の言葉をいただき、温かく見守ってくださる多くの方々に感謝しています。

 塞ぎがちだった私も、今では人と会うのが本当に心から楽しみになりました。

 こんな私の現状を、閉塞感で暗い毎日を病と闘い苦しんで居られる方々に一人でも多く知っていただき、希望を持って生き抜いていただきたいと思い、手記にまとめてみました。

 私もがんばります。またいつの日か、この足でもう一度走れる日を夢見て。

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